沖縄戦後処理の歴史

1,旧飛行場建設の背景
太平洋戦争開戦の半年後、ミッドウエー海戦で多くの航空母艦を失った日本海軍は、1943(昭18)年9月、「絶対国防圏」を大本営は設定し続ける。「不沈空母」構想で多数の飛行場建設に取りかり、陸軍は徳之島、読谷、伊江島,海軍は喜界島、小禄、石垣島、南大東島飛行場の拡張工事と宮古島に新飛行場を建設した。

2,土地接収と地主
那覇飛行場は1931(昭8)年、沖縄県で最初の飛行場であった。以来、拡張工事の度に、土地接収が行われた。当初は土地代や農作物の補償金も支払われたが1943(昭18)年8月の接収時は日本海軍による一方的な査定で土地代金は強制的に小禄村産業組合に貯金させられた。
読谷飛行場では1943(昭18)年、畑地に突然測量旗が立てられ、陸軍航空本部の直轄工事で建設された。地主には「戦争が終われば返す」と説明したという。伊江島では机上に地図を開き、朱線を引いた部分は使用するから村民は協力するようにと通告されたという。石垣島は1943(昭18)年9月から工事が始まった。このように接収の次期、説明、それぞれ異なっている。当時、国家総動員体制下で、地主たちの自由意思が働く余地などは全くなかった点は共通している。

3、沖縄の旧日本軍飛行場

   1 海軍小禄飛行場 (那覇)   9 海軍宮古島飛行場 (平良)

   2 陸軍伊江島飛行場(伊江)   10 陸軍宮古島西飛行場(洲鎌)

   3 沖縄北飛行場  (読谷)   11 陸軍宮古島中飛行場(野原)

   4 沖縄中飛行場  (嘉手納)  12 海軍石垣南飛行場 (平得)

   5 沖縄南飛行場  (仲西)   13 陸軍石垣東飛行場 (白保)

   6 沖縄東飛行場  (西原)   14 海軍石垣島北飛行場(平喜名)

   7 石嶺秘密飛行場 (首里)   15 陸軍宮良秘密飛行場(石垣島)

   8 海軍与根秘密飛行場(伊良波) 16 海軍大東島飛行場 (大東島)

 以上の飛行場は1944(昭19)年の十、十空襲で破壊されほとんど使用されることなく、伊江島、嘉手納、読谷の飛行場は日本軍自ら破壊した。沖縄北飛行場(読谷)は本土空襲の発信基地に利用された。

4 戦後処理の本土と沖縄の差異
旧日本軍は全国で飛行場を建設したが、他府県においては閣議決定によって「戦争終結に伴う国有財産に関する件」や「緊急開拓事業実施要項」「自作農創設特別処置法」などに基づき戦後処理が行われた。一方沖縄では1946(昭21)年から1951(昭26)年にかけて、米軍が使用していない接土地のみは所有権が認めれれた。(仲西、西原、石嶺、与根)一方米軍が使用している海軍小禄飛行場は国有地として無断で使用されていた。このように沖縄に置ける戦後処理は一貫性を欠いていた。 字石嶺軍用内等地主会が1950(昭25)年代後半から要請してきた。

5,1972(昭47)5月の本土復帰時、国有化
27年間米軍管理下にあった旧軍飛行場用地は復帰とともに米軍から大蔵省に移管され、国有地として登記された。翌年には調査を始めて国有地である正当性を主張しだした。沖縄県も調査実施し、1978(昭53)年3月「旧日本軍接取用地調査報告書」を作成した。同年4月に大蔵省は従来通りの調査の調査報告書国会に提出。一方国会では「政治的解決を示唆し、沖振法の運用拡大で処理出来ると」と問題解決に向けて具体的な提案を答弁したにも関わらず沖縄県は残念ながら地主に寄り添う事をしなかった。 読谷は1959(昭34)年から返還運動、1976(昭51)年には、嘉手納飛行場権利獲得期成会を結成し、1995(平7)国を提訴した。「和解案」を嘉手納旧地主会は受け入れたが、国が拒否し1995(平7)年4月に最高裁判決の原告敗訴となった。

6,旧那覇飛行場用地問題解決の行程

1995年(平7)年4月 発足(1928年の調査に基づいた会員でスタート)

     旧軍飛行場用地(本土、県内事例別)の調査及び要請行動。

2000年(平12)年9月沖縄県旧軍飛行場用地問題解決促進協議会を結成

  (那覇、読谷、嘉手納)に全県、53地方議会による意見書を採択し関係省庁へ送付。

2002(平14)年7月沖新法「振興計画」に戦後未処理案件として明記された。

2003(平15)年1月31日 旧軍用地関係市町村連絡調整議会を発足(沖縄県基地対策室)

2005(平17)年7月一般社団法人ともかぜ振興会を設立した。

2008(平20)年8月27日 内閣府・県(基地対)・那覇(平和交流室)で解決指針方針(特定地域特別振興事業)を決定。

2012(平24)年4月19日 沖縄振興特別推進交付金要綱を発表

2018(平30)年11月9日(基本構想・計画・設計)を経て起工式を行う。

2020(令2)年9月1日から(一社)ともかぜ振興会に指定管理者として決定した。

 7 現在の那覇空港
西端にかって大嶺集落があった。海に面した半農半漁の風光明媚な集落だったようで、冊封使として訪れた徐葆光が詩に詠んでいる。その風景が失われるきっかけは先の太平洋戦争だ。当時は、全国的に旧日本軍基地建設がなされたと思うが、沖縄も戦況が悪化するにつけ新基地建設や拡張工事が増えた。国家総動員体制の下で土地接収を断ることは国家に対する反逆行為とみなされ、対等な交渉など望めようはずもない。大嶺においては1931年(昭6)年の小禄海軍飛行場の収用に始まり数度の農地を接収された後、1943年(昭18)年8月の滑走路拡張では住戸部分にまで強制接収が及び多くの字民が住まいを追い出された。戦後、不要になった本土の旧軍用地は農地として払い下げられたり、旧地主への返還や補償等の戦後処理がなされた。一方本土と異なり、米軍統治下の沖縄では米軍に占領され続ける。米軍は土地の所有権は日本国にあるものとし米軍管理地として旧地主を黙殺した。旧地主らは米軍から軍用地料もゼロ、国からの補償も無く戦後75年が経つ。これがいわゆる「旧軍飛行場用地問題」である。「旧軍飛行場用地問題」をめぐって長きに渡り要請活動をした結果2002(平14)年、沖縄振興計画特別措置法で付帯決議として戦後処理が明記されて、問題解決が慰謝として地域支援事業へ助成する形式になっていることに大嶺地主会は躊躇した。「解決」とはなんだろうか。旧軍用地問題の戦後処理事業が決まったというニュースを聞いた時点で第三者は問題が解決されたかのように往々にして錯覚してしまう。しかし、当事者の目線になればこれからが長い道のりでまだまだ「解決」に向けた道半ばである。

8 「ともかぜ振興会館」2020(令2)8月29日(土)、に会館がオープンしました。
この会館は、平成14年に策定された沖縄振興計画において、戦後処理問題の一つとされた「旧軍飛行場用地問題」の解決を図るため、特定地域特別振興事業補助金を活用して建設されました。1948(昭)18年から19年にかけて、旧日本軍により那覇飛行場の用地として接収され、故郷を消失した旧大嶺集落の歴史や伝統、文化などを次世代へ継承し、平和への想いを発信していくことなどを目的としています。施設整備の基本方針として、「子どもからお年寄りまで、世代を超えた交流の場」、「地域の催しが開催できる地域活動の場」、「地域の伝統・文化を学ぶ学習の場」となることなどを掲げて、建設が進められてきました。会館は、多目的ホールや会議室、研修室などを備えており、地域のコミュニティ活動や文化芸術活動の場として個人や団体で利用できるほか、乳幼児健診の会場としても使用されます。地域住民はもちろん、市民のみなさんのご利用をお待ちしています。

9.沖縄は「唯一の地上戦」が行われた特殊地域であるにもかかわらず、本土並みの戦後処理は行われていない。軍命による疎開船舶、戦争マラリア等々「補償」と呼ぶには余りにも程遠い。
しかも国が積極的に行なったものではなく長年にわたる当事者の運動の結果である。旧軍飛行場用地の旧地主たちは「自発的な意思」によってではなく、強権的、威圧的に故郷を追われたのであって、戦後処理という言説がいかに戯言にすぎないか、戦前、戦中はもとより、戦後75年を経た現在の沖縄が如実に語っている。「特定地域特別振興事業」を受けいれざるを得ない「苦渋の決断」を知るべきであろう。

 私は昭和16年に生まれ、2歳まで家族と大嶺に住んでいました。沖縄戦が始まる前の昭和18年、ある日いきなり、住んでいる場所からの立ち退きを命じられたそうです。住民は急いで荷物をまとめて大嶺海岸(イノー)を渡ったと聞かされています。それまでは父は大嶺の海で漁を生業とする漁業者(ウミンチュ)でした。
 私たちが住んでいた場所は日本軍の飛行場となり、沖縄本土復帰の際にも本土並みに地主に返されることなく、そのまま国有地となって今の那覇空港として使用されています。
そのような歴史を背景に戦後補償の交渉を続けた結果、個人補償ではなく特定地域特別振興事業で那覇市保健センターと複合施設を建設することとなりました。
 「ともかぜ」とはうちなーぐちで「とぅむかじ」。「追い風」という意味です。先人の苦しかった思いが私たちの背中を押してくれている気がします。
 この会館は、子どもからお年寄りまで多くの人が集まり、交流する人と人とをつなぐ場所になればと思っています。ホールや伝統芸能スペースもあるので、ぜひ地元の学生さんたちにも使ってもらい、文化の発信拠点にしていきたいですね。文化を絶やさないことが平和に繋がるのではないでしょうか。
 ともかぜ振興会館は、この金城地域のまちづくりの集大成です。オープンをスタートとして、地域のみなさんと更に盛り上げ、地域になくてはならない施設を目指します。

◇ともかぜ振興会 金城栄一会長